- 東プレ株式会社
- 2015年(平成27年)
- 1935年(昭和10年)
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・東京都江東区大島町に資本金30万円をもって「東京プレス工業株式会社」を設立。
- 1937年(昭和12年)
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・城東工業株式会社を吸収合併。
- 1957年(昭和32年)
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・最新のシーム溶接法を採用した部品完成。
- 1958年(昭和33年)
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・東京ダイカスト株式会社を吸収合併。
・ダイカスト設備を充実させるため、高溶融点合金用として「500CT型ダイカストマシン」が設置される。
- 1959年(昭和34年)
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・相模原市に30,000余坪の土地を取得し、相模原工場第一期工事開始。
- 1960年(昭和35年)
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・相模原工場、地鎮祭挙行。
・リジット中ぐりフライス盤やケラーマシン型彫機など新鋭機を次々に相模原工場に設置。
・金型の売却が1,000台を突破。
・25周年祝賀会。
・相模原工場第一期工事完成。
金型、ダイカスト両工場操業開始。 - 1961年(昭和36年)
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・相模原工場にダイスポッティング機設置。大きな戦力となる。
・第1回全日本ダイカスト総合展に出展。金型から製品までの一貫生産は業界でも特異な存在であった。
- 1962年(昭和37年)
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・精密堅型中ぐりフライス盤RBⅢ型、ケラーマシンBG-21、ラヂアボール盤、平面研削盤など新機械続々導入。
・東邦興産株式会社設立。
・相模原工場第二期工事完成。
プレス工場操業開始。・東京証券取引所市場第二部へ上場。
- 1963年(昭和38年)
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・技能者養成所開設。
・相模原工場第三期工事完成。組立工場新設。金型・プレス両工場増設。
- 1964年(昭和39年)
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・社歌が決まる。
・広島県賀茂郡八本松町に15,000余坪を取得し、広島工場を新設。プレス・組立工場完成。
・本社を東京都江東区より中央区へ移転。
- 1965年(昭和40年)
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・ロールフォーミングマシン導入。日本初の導入、大きな戦力に。東京工場と大島工場が相模原に併合され閉鎖。
- 1966年(昭和41年)
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・金型の売却が2,000台を突破。
・台風26号が相模原工場を強襲。金属工場などの屋根が飛ばされる。
・東邦エンジニアリング株式会社設立。
- 1967年(昭和42年)
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・第1次長期経営計画発表。
・アルミ製ボート市場へ進出。
・4柱式60t油圧式複動プレス機、バンパー自動研磨機など自社で諸機械を設計、製作。
・東京メタルパック株式会社設立。
- 1968年(昭和43年)
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・相模原工場プレスラインを2ラインから3ラインへ。
・冷凍、冷蔵車業界へ進出。
・冷凍車販売を開始。日本初の冷凍板方式の冷凍・冷蔵車。第1号車は乳業、食肉加工メーカー様に納入。
・相模原工場、金型・プレス工場増設。
・東京金属工業株式会社設立。
- 1969年(昭和44年)
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・自社製のダイスポッティングマ シン1号機完成。金型の売却が3,000台を突破。(J-3000番)
・第16回東京モーターショウに冷凍車を初出展。
- 1970年(昭和45年)
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・空調機器業界へ進出。
1935年~1970年の世の中の動き
- 1939年(昭和14年):第二次世界大戦開始
- 1957年(昭和32年):5,000円札発行
- 1963年(昭和38年):ケネディ大統領暗殺
- 1964年(昭和39年):東京オリンピック開催
- 1969年(昭和44年):アポロ11号 月面到達
- 1970年(昭和45年):大阪万国博覧会が開催
1935年4月、東京都江東区大島町に、資本金30万円をもって「東京プレス工業株式会社」を設立。塑性(プレス)加工を主とし製罐(せいかん)・鈑金を営む。
1960年3月に市長その他来賓を迎え、相模原工場の地鎮祭が挙行された。その後、建設を急いでいた相模原工場は、7月初めには主要工場である「金型工場」が完成、8月には「ダイカスト工場」も完成、工場要員100余名をもって相模原工場が稼働を開始した。11月には来賓多数を迎え落成式を挙行。祝賀パーティーで祝杯をあげた。
旺盛な資金需要と社会的地盤を固めるため、株式を公開。資本金1億8千万、発行済株式総数360万株をもって東京証券取引所市場第二部へ上場した。売買開始は8月15日から。
公開にあたって当時の会長から「われわれの努力次第でどのようにでも会社が発展できる体制はできあがった。社会的責任を充分認識して大きな夢と、強い責任感を持って会社の発展と我々の生活の向上と社会の福祉のために精進しよう」と決意表明があった。
大島から相模原に工場を移設。金型工場を新設したが職人が育たなかったため1963年4月、技能者養成所を開設した。当時では珍しい取り組みだった。金の卵と呼ばれていた、中学卒業者を3年間訓練。高等学校と同様の勉強をしながら実務を学べる訓練校だった。職人を育てたことで自社内での金型成型が可能になった。
今でこそ「中期経営計画」や「長期経営計画」など多くの企業が策定しているが、他社に先駆けて長期経営計画をつくり、1966年度から1970年度までの5年にわたった第1次長期経営計画が始動した。
(1)技術を売る企業となる。
(2)積極的に新製品を開発する。
(3)高能率、高報酬の理念により社員の生活向上をはかる。
(4)財務構成の改善をはかり安定成長の企業体質をつくる。
以上の基本方針が決まり、基本理念と基本目標が決まった。
1967年、ボートドライブの楽しみを格段に広げるアルミ素材を使用した手こぎボート『ALTOP11(アルトップイレブン)』を発表。“積極的に新製品を開発する”の基本方針のもと、長い間の念願であった「東京プレス」製の名を打つ製品を発表することができた。製造にかかわる4柱式60t油圧式複動プレス機、バンパー自動研磨機などの諸機械を自社で設計、製作。その後ラインナップが増え、ローボートからランナバウトまで豊富な8機種をそろえた。
9月、日本で初めて画期的な冷凍板方式による冷凍・冷蔵車が完成し、販売を開始した。自動車メーカーに依存しない独自の製品による新たな事業展開として、米国での調査を経て開発を進め、第1号車は乳業、食肉加工メーカー様に納入された。
10月24日より東京晴海の会場で開催された第16回東京モーターショウに冷凍板方式冷凍車を初出品した。新製品の機構を理解してもらうため、コンテナの片面をガラス張りにしたコンテナは多くの人の注目を集めた。また、1970年から発売予定の庫内の送風機、「Freezy Block」も同時に展示された。
1970年当時、東プレは全売上の約8割を自動車部門が占めていた。そのような状況下でさらなる発展を目指し、また、事業の多角化・自社ブランドの強化を進めるため、空調機器事業に参入。開発部第3チームによりプレスのノウハウを活かした「ブロアー(ファン)」を開発した。その2年後、米国フリュードテック社からノックダウンしたバブコンを改良していくことで当社空調機器事業は加速していった。